2023年10月7日のハマスによる越境攻撃で、約1200人のイスラエル市民が犠牲となり、約250人がハマスに拘束された。これを受けたイスラエル軍によるガザへの徹底的な軍事作戦により、この2年間で、現地当局者によれば、6万7千人以上が殺害され、17万人近くが、負傷している。死者の数は遺体を確認できた数であり、何千人ともいわれる人たちが、破壊されたビルや建物の中で今も埋もれていると推定されている。また負傷者の多くは、手足を失うなど、一生の障害を負っているとされ、ガザが破滅的な人道状況であることが、連日、世界中で報じられている。
今日、2025年10月9日、2023年10月の開戦から3度目となる、イスラエルとハマスの停戦合意が発表された。詳しい内容はまだ明らかにされていないが、①即時停戦、②イスラエル軍は、ガザ内部の双方が合意したラインまで撤退、③ハマス側は、拘束している全てのイスラエル人を解放(遺体も含め)、④イスラエル側も、2000人規模のパレスチナ人拘束者を解放する、という内容であると、日本時間の10月9日現在、BBCは伝えている。
停戦合意を受け、まず今回の合意を仲介した中心人物であるトランプ米大統領が、自らのSNS(Social Truth) で「歴史的合意がなされた」と発表し、その後、イスラエル政府、ハマス、米国と共に和平調停を続けてきたカタールなども、「和平に向けた第一段階の合意が成立した」と発表した。
この合意への動きは、9月23日に、国連総会で、各国の首脳がニューヨークに集まった際、トランプ大統領が、仲介国カタールやエジプト、アラブの主要国であるサウジアラビアやUAE、ヨルダン、トルコ、そしてインドネシアやパキスタンと合同会議を主宰し、ガザ紛争への和平案を提示したことが、大きな契機となった。
そこでの議論を通じ、ある程度、アラブ諸国の要求に配慮し提案を調整したと推察されるが、ハマスへの影響力を持つエジプトやカタール、そしてアラブ諸国の基本的な合意を得て、翌週9月29日(月)にホワイトハウスで、トランプ大統領がネタニヤフ・イスラエル首相と会談を行った。その会合では、9月9日にハマスの幹部を標的にして、イスラエルがカタールの首都ドーハで攻撃を実施したことについて、ネタニヤフ首相が電話で、カタールのムハンマド首相に謝罪した。中東における最大の米軍基地を提供し、極めて米国とも良好な関係を維持し、またイスラエルとハマスとの仲介を真摯に続けてきたカタール本土にイスラエルが軍事攻撃したことにトランプ大統領は激怒したと伝えられており、それがこの電話でのネタニヤフ首相の謝罪にも表れている。
またその前の週に行われた国連総会での各国の首脳の演説では、イスラエル軍のガザにおける一方的な軍事攻撃と、十分な支援物資の搬入を認めないことによる飢饉の進行について厳しい批判が多くの国から表明され、国連ハイレベルウイークの前後で、イギリスやフランス、カナダなど10か国近くが、イスラエル政府が激しく批判する中、「パレスチナ国家の承認」に踏み切った。G7のうち3か国が承認に踏み切り、世界的には既に160か国が「パレスチナ国家」を承認した。
このように、イスラエルのガザでの軍事作戦と壊滅的な人道状況に批判が集まる中、トランプ大統領が、9月29日にネタニヤフ首相に対して20項目の和平案を提示。そして、トランプ氏の強い説得を受け、ネタニヤフ氏も遂にそれを受け入れたのである。(CNNが伝えた20項目の記事)
その主な内容は、
① 即時停戦
② ハマスが残る全てのイスラエル拘束者を全員解放(約20人がまだ生存とされる。)
③ イスラエル側が、約2000人のパレスチナ人拘束者を解放
④ イスラエルは、ガザの両者が合意するラインまでまず撤退。その後、「条件が整ったところで、ガザから段階的に全て撤退する(が、それまではそのラインを継続)」(battle lines will remain frozen until conditions are met for the complete staged withdrawal.)
⑤ ハマスは武装解除し、戦後のガザの統治には一切関わらない。ただイスラエルとの共存と武器を放棄したものには、アムネスティ(無罪放免)を約束
⑥ 国連や国際赤十字によるガザへの人道支援の完全再開
⑦ 戦後のガザの統治は、テクノクラートで非政治的なパレスチナ人と国際的専門家による「パレスチナ」委員会が行い、それを、トランプ大統領がトップを務める国際暫定組織「平和委員会(Boards of Peace)」が監督する
⑧ 暫定的な「国際安定化監視軍(International Stabilization Forces)」をガザに派遣し、その監視軍はパレスチナ警察もガザで育成する。これについては、この分野で経験の深いエジプトやヨルダンも支援する。この国際軍の派遣が、ガザの長期的な安全保障の要となる
⑨ 長期的に、パレスチナ人の民族自決に基づいたパレスチナ国家建設への道を開く可能性がある
というものである。このトランプ和平案を基に、10月6日からエジプトで、イスラエルとハマス、仲介国のカタールと米国、トルコや、開催地であるエジプトの代表が、(直接協議はできない)イスラエルとハマスの間のシャトル外交を行い、今日10月9日に、「第一段階」の合意に至ったのである。
今回、トランプ大統領が積極的にイスラエルと、ハマスに影響力を持つアラブ諸国に和平案を持ち掛け、第一段階については合意できたことは、率直に評価すべきと考える。
ただ、非常に懸念されるのは、今年(2025年)1月19日に、トランプ大統領が、ネタニヤフ首相に対して「自分の就任前に和平合意するよう」強く求め、停戦した時の内容と、今回の合意内容は極めて近いことである。
1月19日の和平合意でも、第一段階では、即時停戦、ハマスがイスラエル人の拘束者33人を解放、イスラエル側が2千人近くのパレスチナ人拘束者を解放、人道支援の完全再開が合意され、実際に、第一段階の40日間で合意通りの数の人質(拘束者)を双方が解放し、人道支援も、一日600台もの支援トラックが、国連組織が中心となってガザに入れるようになった。
しかし第一段階が終わり、いよいよ「イスラエル軍のガザ撤退と、イスラエル人の人質全員解放」を実施する「第二段階」に入るところで、イスラエルは、合意の履行を中止。逆に3月3日から、ガザへの支援物資の搬入を全て停止した。さらに3月18日からは、「人質の武力による解放と、ハマスの壊滅を目指す」として、圧倒的な軍事作戦を再開したのである。これによって、国連が2025年8月、ガザで「飢饉」が発生、多くの人が栄養失調や飢餓で亡くなる危険にあると発表する事態に陥った。9月16日には、国連人権委員会に付託された「パレスチナにおける独立国際調査委員会」が、ガザでのイスラエル軍の行為は虐殺にあたると発表した。
イスラエル政府はこれを強く否定しているが、どう呼ぶかは様々な意見があるとしても、とにかく大変な人道破綻が3月以降の軍事作戦で、ガザで起きてしまっていることは間違いない。
その意味では、「もしネタニヤフ政権が、3月に第二段階に入っていれば、イスラエル人の人質も全員その段階で解放され、ガザからイスラエル軍も撤退、本格的な復興に入れた」ことはほぼ間違いない。2025年3月に第二段階に入る時点で、トランプ大統領が、今回のような説得をネタニヤフ首相にできていればと、その点は極めて残念でならない。
それでもとにかく、今日、もう一度、停戦合意は実現した。問題は、ハマスが拘束しているイスラエル人の人質が全員解放された後、本当に、「国際的な監視軍の派遣」と、イスラエル軍の「段階的なガザからの撤退」が実現するかである。
ハマスも、今回の合意を歓迎しつつ、「イスラエル軍は、ガザから撤退しなければならない」と何度も主張している。またアラブ諸国も「イスラエル軍はガザからいずれは完全に撤退すべき」と繰り返し強調している。トランプ大統領の20項目和平案でも、「イスラエルはガザを占領もしないし、併合もしない(Israel will not occupy or annex Gaza)」と明記されている。
しかし、イスラエル人の人質の生存者全員の返還が実現した後、「ハマスの武装解除が十分ではない」などを理由にして、イスラエル軍が軍事作戦を再開するのではという懸念は、国際社会に強く存在する。
その意味でも、なるだけ早い段階で、国際的監視軍の派遣と、それに伴い、ガザ内部のより広い地域からのイスラエル軍の段階的な撤退が極めて重要である。
私はこの紛争が始まった直後から、「国際的な監視軍をガザに派遣することで、イスラエル国民にとっても、ガザ市民にとっても、相互に安全が保障される状況を作ることが極めて重要」と新聞やテレビなど様々なメディアで主張してきた。
しかし、この2年間、常に「イスラエル軍のガザからの撤退」が、和平合意履行のネックになってきた。その理由の一つは、ネタニヤフ政権が、二つの極右政党も含めた多くの政党との連立政権で成り立っており、その二つの極右政党が「ガザからイスラエル軍が撤退するなら離脱する」と常に脅しをかけてきたからである。離脱するとネタニヤフ首相は少数与党になり、選挙に打って出て、もし敗北すれば、野党に転落する。そうすると既に汚職などで三つの容疑でイスラエル検察に起訴されているネタニヤフ氏は、実際に刑事罰に問われるリスクがある。トランプ大統領が一時期、「イスラエル検察はネタニヤフ首相に恩赦を与えるべきだ」と主張したのは、このあたりの事情を彼が理解していることを推察させる。
その意味では、今回の停戦合意も、このまま持続的な平和に繋がるかは、決して楽観はできない。ただ前回までの合意と異なり、今回は、トランプ大統領が相当なコミットメントをして実現させた合意であり、その履行について、トランプ氏が前回より大きな意欲を持っている可能性はある。また、ハマスがイスラエル人の人質を全員解放した後に、またイスラエル軍が軍事作戦を再開すれば、イスラエルに対する国際世論の批判は、これまでとは段違いのものになるであろう。既に今年6月、イギリスとカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、ノルウエーの5か国が、極右政党の代表である二人の閣僚に対する個人制裁を発動しているが、より本格的な制裁への動きも出てくる可能性もある。
またイスラエル国内でも、人質の解放とガザ紛争の停戦を求める人の割合が7割から8割に達していると報じられている。そして、現在野党の党首であるラピッド元首相は、10月5日、「例え極右政党二つが連立内閣から離脱しても、トランプ和平案の実現のために我々は協力する」と明言している。
2023年10月からのイスラエルによるガザでの軍事作戦により、既に約1000人のイスラエル兵も戦闘で死亡している。また多くのイスラエル兵も極度のPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんでいると報じられている。大多数のイスラエル市民も、もうこの戦争を終わらせたいと考えている。
人類の全ての戦争は、これまで終わってきた。この言語を絶する悲惨な戦争も、もう終わらせなければならない。
和平調停において最も重要なレバレッジ(影響力)を持っているのは、イスラエルに対しては、米国しかなく、突き詰めれば、今はトランプ大統領しかいないのも事実である。
ただ日本も、良好な関係を持つアラブ諸国と連携して、米国やイスラエルに対し、「人質解放後の軍事作戦の再開」だけは回避し、「人道支援の完全維持」を求め続けることは、中東やアフリカ、東南アジアや南アメリカなど、いわゆる「新興国・途上国(グローバル・サウス)」の中で、「良識ある平和国家」として高い評価を得ている日本にとって、極めて重要なことだと考える。
「停戦と完全な人道支援」さえ維持できれば、その後は、イスラエル軍のガザからの段階的な撤退と、国際的な監視部隊の派遣、そしてガザの統治組織の形成、ハマスの軍事組織の武器の扱いなどについて、一歩一歩、双方が合意する形で進めていくことは可能なはずだ。(ハマスも、既に組織として戦後のガザ統治に関わることはないとしている。)
とにかく今、水も食料も住む場所もないガザの人たちに、「衣食住」という基本的な尊厳を持てる状況を作ることが喫緊の課題だ。
「停戦と国連による完全な人道支援」の維持と、「持続的平和の実現と復興」、そしてその先にある、トランプ和平案に明記されている「パレスチナ人の民族自決に基づく国家の樹立」に向けた持続的な対話を、パレスチナとイスラエルが始め、共存に向けた道に進むことができるのか。世界は今、その曲がり角にある。