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HIGASHI Daisaku

2021年1月30日:緒方貞子さんが語ってくれた「今を生き抜く意味」

国連難民高等弁務官としてUNHCRのトップを長く勤め、その後JICAの理事長としても長年活躍された緒方貞子さんに、私は2004年からずっと指導や支援を受けていました。

そんなご縁で、2017年3月に緒方さんに序文を書いて頂く形で「人間の安全保障と平和構築」という編著を出すために、何度か当時JICA研究所にあった緒方さんのオフィスを訪れ、懇談する機会がありました。

『人間の安全保障』という、緒方さんが国連難民高等弁務官時代に自ら提唱されたコンセプトについての議論になった時、ふと緒方さんは次のように話してくれました。

「国連難民高等弁務官として、難民キャンプをひたすら周り、多くの難民の方々と話をする中で痛切に思ったことがあります。それは、『難民の方々は戦禍から逃れてここに逃げてきて、今は本当に辛い状況で、絶望的な状況にあるかも知れない。それでも、今を生き抜くことさえできれば、5年後10年後には、ある人は本屋を営んだり、ある人は学校の先生になったり、家族に恵まれたりして、それなりに幸福な人生を歩める可能性だって十分あるはず。だからとにかく、今を生き抜けるように支援する、手を差し伸べることは絶対に意味がある。たとえ今、生命の崖っぷちに直面していたとしても、とにかく今を生き抜くことができるように支えること。それこそが、人間の安全保障ということの一番本質的な意味ではないか』と、難民支援の現場でいつも思っていました。」

緒方さんは2019年10月に亡くなられました。今思えば、コロナ禍が世界を席巻する直前でした。

そして2021年を迎えた今、わずか一年で、世界全体で1億人を超える人が新型コロナに感染し、2百万人もの方が亡くなられました。まさに世界的パンデミックに人類は襲われています。

感染症の脅威だけでなく、それに伴う経済的打撃も極めて大きい。多くの方が仕事を失い、先の見えない不安の中で苦しんでおられます。将来への不安の中、自殺する方も急増していると報じられています。

そんな中で私は、緒方貞子さんが話してくれた「今を生き抜きさえすれば、5年後10年後にはそれなりに幸福な生活を送ることができている可能性が十分ある。だから今を生き抜くことが大事」という言葉を、最近よく思い出します。

私も2004年に35歳でNHKを退職して、カナダの大学院に留学を始めてから、何度も仕事が途切れそうになる危機に見舞われました。だから仕事を失うかも知れない不安や恐怖も、私なりに経験してきました。

しかし「今を生き抜くことができれば、なんとかなる」という緒方さんが話してくれたメッセージが、今ほど日本人に、そして人類全体に勇気を与えてくれる時は、かつてないように思います。

たとえ一時的に仕事を失っても、失業保険でも、給付金でも、休業支援金でも、生活保護でも堂々と申請して、生き抜くことが大事ではないか。だって私たちは、こういう時に政府から支援を受けるために普段、税金を払っているのだから。このような世界的パンデミックの時に、一時的な命や生活の危機を乗り越えるために公的支援を利用するのは、むしろ当たり前のことだと考えていいと思うのです。

そして日本政府は、総力をあげて、今、コロナに感染したり、コロナ禍に伴う経済苦境で、命の危険に直面する日本に住む人々を支援すべきだと思います。まさに日本国内での「人間の安全保障」が問われているのです。そのためには、様々な給付金や支援金の延長や拡大、雇用調整助成金の延長、生活保護の支給に関する「扶養照会」や「資産ゼロ」を始めとする厳しすぎる条件の緩和や撤廃など、とにかく政策手段を総動員して、苦境にある人々が今を生き抜くための支援をすべきですし、またその責務を政府は負っていると思います。

ワクチン接種も世界各地で始まっています。感染が収まっていけば、2021年後半から世界経済も回復に向かうという予測も出ています。

楽観論は戒めなければなりませんが、悲観論だけでも人間は生きていけないと思います。

目の前のできることに全力を尽くしつつ、とにかく今を生き抜くことが大事ではないか。そのために、政府は支援に全力を尽くし、私たちも互いに支えあうことが一番大切な時ではないか。そんなことを今、切実に思っています。

2021年1月30日